“思考のどツボ”パート2。孤独ってなに?っていうのをうさぎをみてて話した結果・・

というわけで“思考のどツボ”にハマった一昨日。たまにこうして考えまくって頭が痛くなることがあるんだけど、結局最後は「まぁ、とりあえず幸せならいっか」と投げやりな感じになります。

正解なんかこの世にはなくて、事実なんかどれなのかわからない。

なんて思えば超絶気が楽になるんだけど、自分以外の誰かがいるから、支配したいとかされたいとか、認めて欲しいとか、いろんな感情が湧いてきてぐちゃぐちゃになるのかもしれないね。

誰かとの関わりの中で。といえば。

昨日、マルSABAっていう手作りマーケットの中でプラレールの場所の担当してて、その横にうさぎの触れ合いコーナーがあったんです。

一緒に担当してた勝紀(かつとし)と
「うさぎって寂しいと死ぬっていうじゃん」
「寂しくても死なないらしいっすよ」
「あーそうなんだ。」
「寂しくて死ぬのは人間ですよね」
「そうだねー」
「人間ってどこまで孤独に耐えられるのかな?」

みたいなまためんどくさい話がスタートしたんです。

福井にいるとそうでもないけど、東京に行って一人でいるとやけに孤独を感じるというかつとし。僕は東京で家族と離れてひとりのことが多いけどそこまで孤独を感じないから、なにが孤独を感じさせるのかな?と思ったのです。

「社会(コミュニティ)が存在(社会と関わっている)しているという認識」の中での孤独はもしかしたらある程度耐えられるかもしれない(テレビみたり新聞読んだりすれば社会が存在してるってわかる)けど、この地球上にたった1人になったらきっと耐えられないかもしれない。

いや、そもそも地球上に1人になることってないし、なったとしても最初から1人ならそれが当たり前なんだろうから逆に生きることができるかもだけど、無人島に1人、とか、山奥に1人とか完全に社会と離れちゃった時に人間って壊れるのか、それとも慣れていくのか。

なんとか関わろうとしてネット使うのか?
問題起こして無理矢理繋がろうとしてるのか?

そう考えると、孤独からの脱却って大切なのかな。
(“孤独”と“1人が好き”とはまた違う気がしていて、1人が好きっていうのはある程度の繋がりを持ってる人が感じることなのかぁと思う。僕もその部類なので)

“社会が存在していてそこから離れている”という認識があるから孤独を感じるのかもしれないね。

なんだかすごい人とか、大きなことをしてる人とかをみると「いったい自分にどんな能力があって、どれくらいの人の役に立っているんだろう」って考えちゃって自分自身が不必要に感じてしまうことがあるけど、「あなたのおかげで」とか「素晴らしいですね」って言われるとなんとか社会とかコミュニティの中でぶら下がっていることができてるのかなと感じる時もあります。

鴨長明も方丈庵で社会と離れてひっそりと一人で住んでいたけど、時折繋がりを求めて街を歩いたっていうし。

コミュニティかぁ。

昨日の話の中にも出たんだけど、いまいろんな結婚の形があって昔のような当たり前も崩れてきてるんだけど、1番小さなコミュニティってこの“家族”ってもので、そのコミュニティでの繋がりが自分の存在を認めてくれてる1番近い場所な気もするわけです。

名字が同じになるってことも、1つのコミュニティに属することで、小さいけど誰かの役に立てる場所になるのかなぁと。

SNSが広がって“繋がること”は増えたのかもしれないけど、“属していること”には繋がっていない分繋がっていることに対する虚無感が増えているかもしれません。

ある意味、孤独だね。

家族。家族のような。帰属意識。
それが孤独や虚無から救うのかもしれない。

なんて考えている中で「まぁうまくいってないけど家族が笑っていればそれでいっか」って思った瞬間孤独から救われてるんだなと感じたわけです。

またそんなめんどくさいことを考えてた昨日の日曜日。
朝から晩まで炎天下にいたけど、まったく孤独を感じなかったのは家族や仲間の中にいたからかもしれないね。


ちばつかさ 心と体の中身から

元プロ野球選手の柔道整復師 心と体のコーディネーター ちばつかさのWEBサイト

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