今でも手を繋いで眠るのは、虚栄心を捨てたから
妻はいつもこうやって少し後ろを歩いてついてきてくれているんだと思う。
時には大きな手を広げて待ってくれるんだけど僕はそれに気づかずにずんずんと前に進んで行ったりしてるんだろう。
不甲斐ない自分に苛立ったり、声を荒げることがあったりするけど、プロ意識を勝手に持つ僕の客観的な視点を苦虫を噛むようにジッと聴いて変わろうと努力してくれているのがものすごい伝わってくる。
以前、僕が読んでいたアドラーの本を読みだしたことがあった。それから事あるごとに本を読んでる。
ダイエットをコーディネートする夫の面目のためにダイエットも成功させた。
最近は子供たちに対して疑問が湧いた時に質問をしてくるようになった。
「どうしたらいいかな?」って。
妻は確実に11年の時を経て進化し、魅力的になった。今、1番寄り添っていたいって思う。
年々、お互いの関係性は強固なものになっているのです。それは紛れもなく、妻が「変わろう」と努力してくれて、それを見て僕も頑張ろうって思うからなのかも。
見栄はのちに自分の首を締めることになる
虚栄心ほど邪魔なものはなくって、自分の家族をよく見せようとか、自分をカッコよく見せようという見え透いた虚栄は真実すら捻じ曲げる。
自分の家族、家計がボロボロだった時、なかなかそれを表に出せずにひた隠ししてた時期があった。見栄、偽りの自分。
本当のことを隠せば隠すほど、それに必死になってどんどん偽りの色で塗り始める。
バレるんじゃないか?とい雑音が本来の関係すらも揺るがしたりするもの。
いつしか何も隠さないようになった。
僕の気持ちも、妻の気持ちも思いっきり話すようになった。
性欲の話すら隠さず真剣に話す。だって、とても大切な話だから。
周りから「なんか悩みないの?」なんてきかれるけど、人に話せないような悩みがないくらいこうやってブログに書いているし、夫婦関係も特に問題ないから、悩みを聞き出したい飲み会の席では手持ち無沙汰になってしまうわけ。浮気の1つでもすればネタになるんだろうけど、僕を好きで言いよってくる女性もいないのでネタにすらならない。
美人局もハニートラップにも出くわさないくらいだ。
と、なんだか「うちの夫婦は仲良し!」 のどーだ!を言いたいだけっぽい文章なのだけど、夫婦の形なんてそれぞれの環境も違うから毎日が楽しけりゃなんだっていいと思うんです。
シングルだろうが、事実婚だろうが、結婚しなくたって6〜8割の楽しさと幸せがあればそれでいいんじゃないって思う。
うちも世界一の家族だ!と言いつつも、理想はまだまだ先にあって「ここがもうちょいこうなればいいな」というちょっと不幸を持ちながら日々を過ごしてる。それくらいが逆に幸せだったりもするからね。
でも仮に日々の喜びや幸せが5割を切っているのなら改善は必要かもしれない。
毎日5割以上しんどい、辛い、つまらない、だったらキツイよ、そりゃ。
そんな状態だと余計に隣の芝は青々しく見えるかもしれない。
でもね、自分の芝を青くするのは他人じゃなくて自分なんだ。
肥料を与え、芝を刈り、気を使ってメンテナンスするからこそ青々しくなっていく。
他人は他人。自分は自分。
あんなにボロ雑巾みたいにボロボロだったうちが、それなりに芝生っぽくなってきたんだから誰でもなれるって思うんだ。
それをちば家は実験台として日々を過ごす。
「世界一の家族でもなんでもない、ボロボロだった家族が「世界一の家族だ」と言い続けるとどうなるか?」っていう実験。
死ぬまで進化と変化を繰り返したいって思う。死ぬまでも死んでからも妻と家族を愛していたいって思うからね。
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